超アキバ系ファッション感

保守的な方(特に男性)には辛い内容。「超」とは超えるという意味で、いわゆる「キバカジ」の凄いやつではありません。
私は10年以上昔から女装とかやらされてて、2年前Netで「悟りムーブメント」に関わり、女装コスプレを一時的に再開しました。
その時の写真集準備オフで新宿のマルイONEに連れていかれた際、気付いたのです。

「私の求めていたものはここにあった」

一般的にアキバ系二次元文化で「萌え」とされている服飾形態は、原宿系のファッションに非常に近い。…おそらくは「少女性の強調」といった部分で重なったのではないか。
そこにはフリフリの服もニーソもベレー帽もセーラーも当然のように売られていた。
そうか、コスプレ服でなくても萌える服は実在する…!


かなり珍しいケースだと思うのですが、私は一萌える人間として「萌え要素」との同化を考えた。コスプレではなくファッションとして。*1
要素を部分的に取り入れるという方法も無くはないが、できれば完璧さは求められた。

私は常識を破壊することにした。
男が男として化粧したりスカート穿いてもいいじゃないかー(ただし見苦しくないような状態を整えて)
こうして私はコスプレも女装も脱したのである。(概念だけなので第三者的にはさっぱりわからないw)
私はロリ服で完全武装し原宿から慣らし、ファッション発信地である世界の観光名所、神宮橋デビューも果たした。(ここでは何をしてもファッション表現ととらえてくれる)
ここで撮られる際のポーズなどを研究した。

最近秋葉原に進出した。ここには路上に店員メイドさんやコスプレパフォーマーがいるせいか、まだコスプレと思われているような気がする。
着るだけでは考えは伝わらないのだ…が、ただ注目を受けるだけでも私は嬉しくなっていたのであった。

*1:アキバが世に知られるようになると、ニーソ着用の女性が確実に増えていたのである。

乙女感

「良い女は男に都合のいいお人形である」という考え方がありまして、これは「フィギュア萌え族」などと評されたアキバ系以前に男性優位社会では普遍的なものなのである。

ここでジェンダー論に振るつもりはないのだけど、私の結論では「乙女」とは単に男に都合のいいお人形ではないということだ。

乙女とは、
「かわいい」が最上の価値観である
弱いことはステータスになり得る(他人の庇護欲をかきたてるから、という自分本位の理由で)
自分の信じた道を突き進む。ここに他人を介入させることはない孤高の人である
自分が中心なので他人の都合はあまり考えていない
目的のためならば手段は選ばない
ただで利用出来るもの(人間含む)は利用する
ぶっちゃけ卑怯である
以上を上品かつスマートに実行する


このような乙女感をアキバ系に紹介したものの一つが「ローゼンメイデン」だと思うのだけど、その薔薇乙女達が人形であるということはなんという皮肉であろうか。