かつらぎ、恋愛歴を語る

初恋は幼稚園年長の時でした。
奥手だ言われますけど、恋の自覚は早かったのです。
小学校一二年の時に教室での手紙のやりとりで好きな子に告白します。まだ性格が不安定だった時期。しかし、激しく嫌がられ、さらに世間の風(噂)という物を知り、それ以降アプローチに消極的になっていきます。
小学五六年次は、担任が高齢のため、席替えがなく、隣の席の子に激しく恋愛しました。
給食の時に無意識に見つめてしまって「怖い」と言われたのはその時の話。
ずっと友人のような関係を続けていたのだけど、直接「好きな子、誰?教えてくれたら私も教える」と言われたときはパニックになりました。
世間体が怖かったし、いじめられっ子の私は、今あなたが好きだとは言える立場じゃなかったのです。
適当にほのめかして「卒業式に教える」と伝えました。実のところ両思いだったのではないかと思う。

しかし「卒業式の約束」は卒業式時にあっさり忘れてしまい、これに悔いを残したまま中学はバラバラに…。

部活の練習試合や合同イベント等でお互いを確認する機会があったため、塾で彼女の友人だという子を通じて文通を始めます。
最初は世間話から、次に「卒業式の約束」を切り出す。しかしこれについては彼女も忘れていた。
ただ、また彼女の方から「好きな子いるの?」という質問があった。
これでようやく告白できる!と思った矢先、この密かな文通は明るみになり、世間の冷たさは私を覆い尽し、私は偽装自殺未遂。偽装記憶喪失を行い、彼女にとって最悪の方法で強制的に文通に終止符を打ったのです。

それ以降は気を引くような女の子がいても本気にはなれなかったのです。ただただ小五からずっと好きだったあの人への悔悟の念が頭から離れなかったからです。

それがピークに達したのは彼女が入学したいと言っていた高校(彼女は残念ながら入れなかった)に入学してから3年の時に、皮肉にも小一の時にフラれた子から渡された紙袋の中身を確認してからだった。

「かえす!」

激しい拒絶の言葉を添えて、中学の時に私が送った手紙が全て戻ってきた。
痛い。痛すぎる。痛いなんてものじゃない。私は世間体を気にするあまり嘘をつき少女を傷つけるという人として最低の行為をしてしまったんだ。布団の中で泣いた。
罪を償わなければならなかった。
なんども彼女の電話番号をプッシュしたが、受話器を上げることはできなかった。

私は大学進学と同時に東京へ引っ越し、それから二度引っ越し、十数年間、彼女のこと好きだったけど、もう接点は無くなってしまった。
今でもあの頃のことを思い出すと、泣きそうになります。あやまりたい。けど、それはできないのです。
彼女、まだ夢に出るんだよね…。
私が某レストランに急に通い始めたのは、WRさんに本気で恋してしまったからである。(勘のいい人はわかっちゃうなー)
まさに一目惚れだった。オーラを感じた。帰り、店から駅までスキップだった。
彼女は同人活動もしており、実は本人を店で見る前に彼女の参加していた同人誌を入手していたことに気付いたときには、俄然彼女への興味が増したのであった。
その後私は店のいわゆる常連というものになり、店員さんからも認知されたし、彼女を見守る権利を得たのであった。客として。(彼女を無意識に見つめていたところ、そんな切なそうな目で居られて、コーヒーのおかわりになかなか行けなくて申し訳ありません、と店長経由で伝えられた…)
その後、同人誌即売会の場でも会ったりしていた頃、彼女の女優志望とその半ば諦めを知る。
私の学友が卒制で自主映画を撮ることもあって、メインキャストへのスカウトを試みた。
二つ返事でオッケーをいただき、順調に事が進みそうではあったのだが、数日後驚く事態となった。
店で彼女に伝えられた。彼女の同人誌を読んで興味を覚えたという某アイドル評論家、つまりマジモンの業界人が記事を書いてみないか、撮らせてくれないかと連絡が来た、と。
つまりスカウトされてしまったのである。
そして後日彼女はそれに承諾し、卒制映画への参加はできなくなったと詫びを入れられてしまった。

その後彼女は雑誌のグラビアを飾り、写真集にも、CMにも、ドラマにも出て、CDも出した。
だけどお店で働いてたころの元気でちょっとドジな、生の君の魅力を伝えるのにはどれも不十分だったよ…
もう、なかなか会えないのは残念です。
先日の高速バスのおばちゃんとはこんな恋愛話にももつれ込んで、現在接点のある女性がいない、と言ったら「やっぱり同じ趣味のお洋服着てる子(つまりロリィタちゃん)とか良いんじゃない?」と言われました。な、なるほど。
でも乙女同士で恋愛できるのかは甚だ心配なのですがね…